1918~1926年日本政府改善中国留日学生政策初探(下)(2)
http://www.newdu.com 2024/11/29 08:11:55 《史学月刊》 徐志民 参加讨论
注释: ① 二見剛史:《戰前日本における中国人留学生予備教育の成立と展開》,日本国立教育研究所:《国立教育研究所紀要第94集:アジアにおける教育交流-、ジア人日本留学の歷史と現状》,東京:万友社,昭和53年;阿部洋:《“对支文化事業”の研究--戰前期日中教育文化交流の展開と挫折》,東京:汲古書院2004年版;孙颖:《20世纪上半叶中日文化关系的一个片断--“东方文化事业”留学生学费补给制度考略》,《贵州民族学院学报》2006年第2期;酒井順一郎:《1920年代から1930年代に於ける中国人日本留学生政策》,日本留学生教育会编集委员会:《留学生教育》第9号,2004年12月。 ②③ 実藤惠秀:《中国人日本留学史》,東京:くろしお出版,1981年增補版,第490~493、117页。 ④⑤⑥ 砂田実:《日華学会二十年史》,東京1939年,第11~12、5、5~6页。 ⑦ 《支那人本邦留学情况改善案》,《支那政見雑纂第三卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B03030276600。 ⑧⑨⑩ 《支那人本邦留学情況改善案》,《支那政見雑纂第三卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B03030276600。 (11) 《在本邦支那留学生養成待遇法改善案》,1918年作成,仅印刷100部在有限的范围内散发,日本外務省外交史料館藏,請求番号:3-10-5-17-1。 (12) 《義和団事件賠償金還付ニ関スル建議案》,《東方文化事業部関關係会訐雑件第一卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B05015062700。 (13) 杨晓:《中日近代教育关系史》,人民教育出版社2004年版,第403~404页;王桂主编:《中日教育关系史》,山东教育出版社1993年版,第400页。 (14) 亦称“汪-出渊协定”、“中日文化事业协定”或“中日文化协定”,中日双方约定共同遵守。1925年5月4日,由中国外交总长沈瑞麟与日本驻华公使芳泽谦吉交换公文,再次确认。见日本外务省记录:《日支共同委員会関係一件汪一出淵協定》,日本大正13年2月6日;阿部洋:《“對支文化事業”下の中国人留学生受け入れ問题》,浙江大学与神奈川大学合编:《中日文化论丛--1999》,北京图书馆出版社2001年版,第27~28页。 (15) 《教育公报》第11年第4期;又见陈学恂、田正平主编《中国近代教育史资料汇编·留学教育》,上海教育出版社1991年皈,第409~414页。 (16) 《中日交涉中之留日学生大会》,《时报》,1915年2月20日。 (17) 《留东学生代表回国情形》,上海《时事新报》,1915年3月5日。 (18) 《帰国する支那留学生四百人達す関係学校は休校同樣》,《朝日新聞》,1918年5月11日。 (19) 小野信尔著,殷叙彝、张允侯译:《救国十人团运动研究》,中央编译出版社1994年版,第8页。 (20)(22) 詧盦:《学界风潮纪》,《五四爱国运动》上册,中国社会科学出版社1979年版,第401~402、402页。 (21) 彭明:《五四运动史》,人民出版社1984年版,第359页。 (23) 沈殿成:《中国人留学日本百年史》上册,辽宁教育出版社1997年版,第403页。王拱璧《东游挥汗录》之《八年“五七”之巷战》第13页称:“嗣后查得受伤者二十七人……被捕者四十二人。其中七人由警察厅起诉。经东京地方审判厅判决杜中以下五人判处徒刑,缓期执行;胡俊判处徒刑十月;赵云章判处徒刑六月。”二者记载略有差异,但判刑情况一致,佐证了记述的真实性。 (24) 《帰国する支那留学生四百人達す関係学校は休校同様》,《朝日新聞》,1918年5月11日。 (25) 程新国:《庚款留学百年》,中国出版集团·东方出版中心2005年版,第16页。 (26) 文中所述各年留美学生的人数分别依据刘伯骥的《美国华侨史》续编(台北,黎明文化事业公司1981年版,第419页),《华人留学美洲之今昔》(《东方杂志》第14卷12期),《留美中国学生会小史》(《东方杂志》第14卷12期),《留美中国学生之调查》(《教育杂志》第17卷3期)和舒新城的《近代中国留学史》(中华书局1927年版,第136页,注释3)。 (27) “五校特约”系清政府和日本于1907年8月达成的东京高等师范学校、东京高等工业学校、第一高等学校、山口高等商业学校、千叶医学专门学校五校,每年接受165名中国官费留学生的协议,为期15年。详见陈学恂、田正平主编:《中国近代教育史资料汇编·留学教育》,第346~347页。 (28)(35) 《第四十四議会/7支那留学生二対スル建議案提出ノ件》,《帝国議会関係雑纂/質問答弁第七卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B03041441700。 (29) 高橋本吉:《支那人教育の施設に関する建議案》,《大日本帝国議会誌》第40議会,1918年3月20日。 (30) 関和知等:《日支文化の施設に関する建議案》,《大日本帝国議会誌》第40議会,1918年3月23日。 (31) 実藤惠秀:《中国人日本留学史》,東京:くろしお出版,1981年增補版,第121页。 (32) 清水留三郎等:《支那共和国留学生に関する质問主意書》,《大日本帝国議会誌》第43議会,1920年7月19日。 (33)(34) 《1.第四十四議会/4支那共和国留学生ニ関スル質問主意書[及ぴ答弁書]》,《帝国議会関係雑纂/質問答弁第七卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B03041441400。 (36) 松本亀次郎等:《支那共和国留学生教育に関する请願書》,《大日本帝国議会誌》第45議会,1922年3月14日;《第四十四議会/7支那留学生ニ対スル建議案提出/件》,《帝国議会関係雑纂/質問答弁第七卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B03041441700。 (37) 《義和団事件賠償金還付ニ関スル建議案》,《東方文化事業部関係会計雑件第一卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:E05015062700。 (38) 外務省記録:《外国へ派遣の清国留学生関係雑纂》,见阿部洋:《戰前日本の「对支文化事業」と中国人留学生--以学費補給問題を中心に》,载日本国立教育研究所:《国立教育研究所纪要第121集:戰前日本のアジアへの教育関与》,平成4年3月,第166页。 (39) 耿申等:《北京近代教育记事》,北京教育出版社1991年版,第126页。 (40) 《在京支那留学生概况》,1920年4月作成,日本外務省外交史料館藏,請求番号:3-10-5-3-6,第3册。 (41) 陈新宪;《留东杂忆》,《邵阳文史资料》第7辑,1987年印,第176~177页。 (42) 《留日学生監督江庸の談》,1919年11月18日,日本外務省外交史料館藏,請求番号:3-10-5-3-4。 (43) 《留学生が支那の公使館を包囲》,東京《報知新聞》,1923年6月27日。 (44) 東乙彦:《支那人教育私見》,《密大日記》大正10年,6册の内第6册,日本防省防研究所藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:C03022584500。 (45) 杭州领事代理清野长太郎致外务大臣内田康哉:《日本留学支那留学生取締に関する件》,1922年7月19日,日本外務省外交史料館藏,請求番号:3-10-5-17-2,第3册。 (46) 上海总领事船津辰一郎致外务大臣内田康哉:《留日学生学費問題に関する件》,1922年8月9日,日本外務省外交史料馆藏,請求番号:3-10-5-17-2,第3册。 (47)(48) 河路由佳:《戰時体制下の在日留学生教育--政策とその教育現場における現れ》,载河路由佳、淵野雄二郎、野本京子:《戰時体制下の農業教育と中国人留学生:1935~1944年の東高等農林学校》,東京:農林統計協会,2004年版,第28页。 (49) 《支那留学生状况取?{に関する件》,《在本邦留学生関係雑件》,日本外務省外交史料館藏,請求番号:H-5-0-0-1,第1册。 (50) 孫安石:《“経費は遊学の母なり”--清末~一九三○年代の中国留学生の留学経費と生活?{查について》,载大里浩秋、孫安石編:《中国人日本留学史研究の现段階》,東京:御茶の水書房2002年版,第190页,“表10中国留学生に関する各種調查統計”。 (51) 沈殿成主编:《中国人留学日本百年史》上册,第462页;《4.東亞学校開校十週年纪念会》,《東亞学校関係雑件第一卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B05015386800。 (52) 《支那人本邦留学情況改善案》,《支那政見雑纂第三卷》,日本外務省外交史料馆藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド::B03030276600。 (53) ?{浦文彌:《寄宿舍と青年の教育》,1926年;孫安石:《“経費は遊学の母なり”--清末~一九三○年代の中国留学生の留学経費と生活調查について》,载大里浩秋、孫安石编:《中国人日本留学史研究の現段階》,東京:御茶の水書房2002年?版,第179~180页。 (54) 孫安石:《“経費は遊学の母なり”--清末~一九三○年代の中国留学生の留学経費と生活?{查について》,载大里浩秋、孙安石編:《中国人日本留学史研究の現段階》,東京:御茶の水書房2002年版,第183页。 (55) 孫安石:《“経费は遊学の母なり”--清末~一九三○年代の中国留学生の留学経費と生活?{查について》,载大里浩秋、孫安石編:《中国人日本留学史研究の現段階》,東京:御茶の水書房2002年版,第184页。 (56) 《在京支那留学生概况》,1920年4月作成,日本外務省外交史料館藏,請求番号:3-10-5-3-6,第3册。 (57) 実藤惠秀:《中国人日本留学史》,第124页。 (58) 《中华民国留日学生关于排日问题之宣言》,1923年7月;実藤惠秀:《中国人日本留学史》,第125~126页。 (59) 《留日学生総会の紛擾》,《在本邦留学生関係雑件》,日本外務省外交史料館藏,請求番号:H-5-0-0-1,第2册。 (60) 《2.文化事業部補助留学生費修正弁法案大正十五年十二月》,《民国政府ノ外国留学ニ対スル諸?{查関係雑件》,日本外務省外交史料館藏,アジア歴史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B05016089800。 (61) 《新聞切拔送付ノ件(対支文化事業ニ対スル在東京支那留学生ノ不平)》,日本大正14年2月24日付《在本邦留学生補給実施関係雑件》;阿部洋:《戰前日本の「对支文化事業」と中国人留学生--以学費補给問題を中心に》,载日本国立教育研究所:《国立教育研究所紀要第121集:戰前日本のアジアへの教育関与》,1993年3月,第181~182页,注释(6)。 (62) 《第五十議会帝国議会說明参考资料大正十四年一月/2四/1》,《帝国議会関係雑纂/說明資料/対支文化事業第二卷》,日本外務省外交史料館藏,アジア歷史資料センタ一、レファレンスコ一ド:B03041496900。 (63) 酒井順一郎:《1920年代から1930年代に於ける中国人日本留学生政策》,《留学生教育》第9号,2004年12月,第87页。 (责任编辑:admin) |
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