注释: ①石田梅岩『都鄙問答』巻二、『日本古典文学大系97 近世思想家文集』、岩波書店、1966年。西川如見『町人嚢』卷一、『日本思想大系59 近世町人思想』、岩波書店、1975年、88頁。『武家諸法度』、『大名宛』、『旗本宛』、『御触書寛保集成』、岩波書店、1934年、11頁、580頁、581頁。『浅野吉良非喧嘩論』、『日本思想大系27 近世武家思想』、岩波書店、1974年、385頁。 ②丸山真男『丸山真男講義録』第1冊、東京大学出版会、1998年、158頁。 ③浮世,佛教用语。原指无常的人生,带悲观厌世情绪。江户时,该词被町人反其义而用之,狭指歌舞伎和游里世界,泛指浮华享乐的当世之风。 ④井原西鶴著·松田修校注『好色一代男』、新潮社、1982年。諏訪春雄『近松世話浄瑠璃の研究』、笠間書院、1974年。 ⑤丸山真男『丸山真男講義録』第1冊、162頁。 ⑥高橋鐡『浮世絵 その秘められた一面』、河出書房新社、1991年。 ⑦江户时期相当多的“隐卖场”即“冈场所”,分布于深川、筑地、品川、新宿等地。天明年间(1781-1789年),冈场所有隐卖窝点多达33个。《蜘蛛的丝卷》(『蜘蛛の系卷』)中,详细地记录了 33个场所的名称,如根津、谷中等地的“茶屋”和浅草等地的“水茶屋”等。其他记录文献中,还有品川的“高轮”、芝车町的“车町根芋”(根芋,乃暗娼别称)、三田等地的“长屋”和芝地有名的神明社“荫间茶屋”等。来这里狎妓者,多为九州的“勤番田舍侍”(武士)和附近增上寺的僧人。“麻布三所”等也属于这一类地带。据《花知留作登》记载,上野、山下等地亦有九处这样的地方,且有107处营业场所。不仅茶屋女暗营娼卖之业,甚至比丘尼亦手持念珠,蹴转卖淫。致使正保(1644-1648年)以来享保(1716-1736年)、宽保(1741-1744年)和宝永(1772-1781年)年间,虽官府禁娼布告屡发,而其弊犹不至全盘扑灭。参见:田村栄太郎『江戸庶民の暮らし』、雄山閣、2003年、78-156頁。新井白石曾慨叹:“舞子游女之类出,费世之财用,破风俗,有百弊而无一利。”享保五年(1721年)町奉行大冈越前守,开始施行如下方案:除公认场所吉原外,其他地方一律禁止卖笑,游女即私娼的经营人倘不执行,则没收其家财。茶屋一俟被官府认定为卖笑窝点,亦没收其家财。由于宽保元年私娼的活动一度被停止,逼使她们不得不女扮男装,可因此却有了契约式身份“男年季证文”。到文化年间(1804-1818年),江户的歌舞伎和艺妓人数竟达2万人以上。她们穿着的“羽织”竟也风靡至关西,成为该风俗流行的一大标志。参见:田村栄太郎『江戸庶民の暮らし』、78-89頁。 ⑧田中彰『幕末の藩政改革』、墙書房、1965年、240頁。 ⑨参见益田孝:《外国贸易》,载大隈重信编撰:《日本开国五十年史》下册,上海:上海社会科学院出版社,2007年,第1152-1153页。 ⑩徳富猪一郎『近世日本国民史28 天保改革篇』、民友社、1935年、257-265頁。 (11)佐藤昌介『洋学史の研究』、中央公論社、1980年。 (12)高瀬保「线屋五兵衛考」、日本歴史学会編『日本歴史』通巻252号、吉川弘文館、1969年、44-66頁。 (13)国府犀東「銭屋五兵衛」、長田権次郎編『徳川三百年史』第五門、裳華房、1903年、1005-1010頁。 (14)国府犀東「銭屋五兵衛」、長田権次郎編『徳川三百年史』第五門、1011-1015頁。 (15)同上书,第1017-1024页。 (16)若林喜三郎『新版·銭屋五兵衛』、北国出版社、1982年。国府犀東「銭屋五兵衛」、長田権次郎編『徳川三百年史』第五門、1025-1029頁。 (17)塚谷晃弘「解説江戸後期における経世家の二つの型—本多利明と海保青陵の場合—」、『日本思想大系44 本多利明·海保青陵』、岩波書店、1970年、447頁、456頁。 (18)国府犀東「銭屋五兵衛」、長田権次郎編『徳川三百年史』第五門、1007-1014頁、1041-1064頁。 (19)若林喜三郎『新版·銭屋五兵衛』、北国出版社、1982年。鏑木勢岐『銭屋五衛門の研究』、銭屋彰顕会、1957年。 (20)国府犀東「銭屋五兵衛」、長田権次郎編『徳川三百年史』第五門、1063頁。 (21)若林喜三郎『新版·銭屋五兵衛』、むすび「銭五財閥崩壊後の展望」。关于与钱屋五兵卫相关的纪念物,有石川县河北郡内滩町的“钱屋五兵卫句碑”和北海道礼文郡礼文町的“钱屋五兵卫贸易之地”纪念碑等。 (22)亚当·斯密:国民财富的性质和原因的研究》上卷,郭大力、王亚南译,北京:商务印书馆,2011年,第9-19、312-319页。 (23)海保青陵「経済話(抄)」、『日本思想大系44 本多利明·海保青陵』、406頁。韩东育:《日本近世新法家研究》,北京:中华书局,2003年。 (24)亚当·斯密:国民财富的性质和原因的研究》上卷,“改订译本序言”。 (25)塚谷晃弘「解説江戸後期における経世家の二つの型—本多利明と海保青陵の場合—」、『日本思想大系44 本多利明·海保青陵』、448頁、488頁。 (26)佐久間象山「省諐録」、『日本思想大系55 渡邊崋山·高野長英·佐久間象山·横井小楠·橋本左内』、岩波書店、1971年、415頁。 (27)威廉·比斯利:《明治维新》,张光、汤金旭译,台湾新北市:远足文化事业股份有限公司,2018年,第121页。 (28)佐久間象山「象山書簡·勝海舟宛(安政三年七月十日)」、『日本思想大系55 渡邊崋山·高野長英·佐久間象山·横井小楠·橋本左内』、366頁。 (29)植手通有「解説佐久間象山における儒学·武士精神·洋学」、『日本思想大系55 渡辺崋山·高野長英·佐久間象山·横井小楠·橋本左內』、668-672頁。 (30)「狂夫の言」、『日本思想大系55 吉田松陰」、岩波書店、1978年、581-586頁。 (31)威廉·比斯利:《明治维新》,第211-218页。 (32)威廉·比斯利:明治维新》,第263-264页。 (33)同上书,第106页。关于“同盟”说,威廉称:“天保改革是藩国与农村中反对垄断的群体结成‘同盟’的产物,而这个同盟取代了此前存在的藩国与特权商人之间的同盟。”参见威廉·比斯利:《明治维新》,第104页。 (34)威廉·比斯利:《明治维新》,第381-382、420页。 (35)遠山茂樹『明治維新』、岩波書店、1951年。 (36)威廉·比斯利:《明治维新》,第26-29页。 (责任编辑:admin) |