①鎌田浩毅:《西日本大震災に備えよ:日本列島大変動の時代》,PHP研究所,2015年,第59页。 ②力武常次:《日本の危険地带:地震と津波》,新潮社,1996年,第89页。 ③《安全と信じた故郷の大惨事》,《朝日新聞》,1995年1月19日第13版,载朝日新聞社:《阪神大震災:朝日新聞大阪本社版紙面集成》(1995年1月17日至2月17日),朝日新聞社,1995年,第57页。 ④石橋克彦:《阪神·淡路大震災の教訓》,岩波書店,1997年,第3页。 ⑤数据来源:(1)気象庁技術報告第119号,1997年(http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/1995_01_17_hyogonanbu/tech/119_01_seismo.pdf,2017年9月2日);(2)阪神淡路大地震人与防灾未来中心,对外展示的展板数据;(3)兵库县阪神淡路大地震信息公开数据,最终更新日期为2008年1月28日(http://web.pref.hyogo.jp/pa20/pa20_000000015.html,2017年9月2日)。 ⑥根据日本著名地震学家宇佐美龙夫的统计:1868-1949年间,死亡千人以上地震次数共为7次,死亡万人以上地震为1次。但史料情况记载缺失,或情况不明的状态也很严重,无法统计死亡人数的地震次数为197次。具体数据可参见宇佐美龙夫:《新編日本被害地震総覧》(増補改訂版),東京大学出版会,1996年,第20页。 ⑦关于“记忆之场”的概念及皮埃尔·诺拉的研究可以参照孙江:《皮埃尔·诺拉及其“记忆之场”》,《学海》,2015年第3期。 ⑧《慰霊と復興のモニユメント·1.17希望の灯り》,神戸大学震災文庫,震災-15-v364。另外可参见神户市政府的公开信息说明(http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/revival/monument/,2017年8月19日)。 ⑨日本的传统是按佛教礼仪祭奠死者。“彼岸”是佛教的用语,春天的彼岸节是每年的3月20日左右,含春分日的一周;秋天的彼岸节是每年的9月23日左右,含秋分日的一周。 ⑩原阪神淡路震灾复兴委员长下河边淳、作家陈舜臣等人结成志愿者,组织“纪念碑地图制作委员会”。为推动震灾体验共有化,他们在地图上对各种地震纪念碑进行标注。1999年,他们制作了12万份地图向社会发放,地震纪念碑交流谈话活动随之开始。震災モニユメントマツプ作成委員会、每日新聞震災取材班:《忘れない1.17震災モニユメントめぐり》,葉文館出版社,2000年。 (11)《記憶呼び覚ます装置》,《神戸新聞》,2005年3月3日,神戸大学震災文庫,震災-15-v303。 (12)《7年ぶり帰つた61人》,《神戸新聞》,2004年8月5日,神戸大学震災文庫,震災-15-v303。 (13)今井信雄:《阪神大震災の記憶に関する社会学的考察——被災地につくられたモニユメントを事例として》,《ソシオロジ》47(2)(通号145),2002年10月,第89-104页。 (14)《安倍首相が阪神·淡路大震災の被災地視察》,《神戸新聞》,2015年5月16日。 (15)《阪神淡路大震災1.17のつどい現在に至る経緯》,神户市政府对外公开信息,震災-15-v364。另外可参见神户市政府的公开信息说明(http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/revival/monument/,2017年8月19日)。 (16)《希望の灯り、土砂災害1年の広島へ分灯大槌で》,《読壳新聞》,2015年8月12日。 (17)鳴海邦碩、小浦久子:《失われた風景を求めて:災害と復興、そして景観》,大阪大学出版会,2008年,第102-107页。 (18)リメンバー神戸プロジエクト:《『神戸の壁』保存活動記録:震災を決して忘れないために》第1巻,リメンバー神戸プロジエクト,1998年,序言。 (19)《被災建物を遺産に》,《読壳新聞》,1995年2月26日,载リメンバー神戸プロジエクト:《『神戸の壁』保存活動記録:震災を決して忘れないために》第1巻,リメンバー神戸プロジエクト,1998年,第14页。 (20)リメンバー神戸プロジエクト:《『神戸の壁』保存活動記録:震災を決して忘れないために》第1巻,リメンバー神戸プロジエクト,1998年,序言第1-2页。 (21)リメンバー神戸プロジエクト:《『神戸の壁』保存活動記録:震災を決して忘れないために》第2巻,リメンバー神戸プロジエクト,1998年,第79页。 (22)平山洋介:《フアンタジー·プレイス:神戸ルミナリエの都市戦略》,《都市住宅学》,1999年,第29-33页。 (23)稲葉洋子:《阪神·淡路大震災と図書館活動:神戸大学「震災文庫」の挑戦》,人と情報を結ぶWEプロデユース,2005年,第16-18页。 (24)奧村弘、佐々木和子:《大災害の記録事始め 阪神淡路大震災資料の保存活用をめぐつて》,载岩崎信彦等編:《災害と共に生きる文化と教育:「大震災」からの伝言(メツセージ)》,昭和堂,2008年,第163-164页。 (25)该组织公开网页http://siryo-net.jp/,2017年10月2日。 (26)奧村弘:《阪神大震災をとらえ返す》,神戸大学震災研究会:《大震災を語り継ぐ:阪神大震災研究》第5卷,神戸新聞総合出版センター,2002年,第205页。 (27)人と防災未来センター:《震災資料の收集·保存事業の経緯概》(http://www.dri.ne.jp/material/material-details,2017年8月29日)。奧村弘、佐々木和子:《大災害の記録事始め 阪神淡路大震災資料の保存活用をめぐつて》,载岩崎信彦等編:《災害と共に生きる文化と教育:「大震災」からの伝言(メツセ一ジ)》,昭和堂,2008年,第168页。) (28)该组织公开网页(http://siryo-net.jp/,2017年9月2日)。 (29)人与防灾未来中心网页:《主任致辞》(http://www.dri.ne.jp/centertop,2017年9月2日)。 (30)社会科の初志をつらぬく会関西ブロツク:《阪神大震災を教育に生かす》,黎明書房,1996年,第92页、第109页。 (31)神戸市立中学校長会編:《幸せ運べるように:神戸·教育復興の10年》,みるめ書房,2005年,第25页。 (32)震災復興調查研究委員会編:《阪神·淡路大震災復興誌》第1卷,21世紀ひようご創造協会,1995年,第416页。 (33)神戸市立中学校長会編:《幸せ運べるように:神戸·教育復興の10年》,みるめ書房,2005年,序言。 (34)建設省建築研究所図書室編:《わが国における震災誌リスト》,建設省建築研究所図書室,1967年。 (35)奥村弘:《大震災と歴史資料保存:阪神·淡路大震災から東日本大震災へ》,吉川弘文館,2012年,第69-73页。 (36)Geller R.J.:《日本人は知らない「地震予知」の正体》,双葉社,2011年,第25-26页。 (37)石橋克彦:《原発震災:破滅を避けるために》,载室崎益輝、藤田和夫:《大震災以後》,岩波書店,1998年,第313页。 (38)石橋克彦:《原発震災:破滅を避けるために》,载室崎益輝、藤田和夫:《大震災以後》,岩波書店,1998年,第313页。 (39)新潟日報社特别取材班:《原発と地震:柏崎刈羽「震度7┘の警告》,講談社,2009年,第50-52页。 (40)中林一樹:《進化する都市災害》,《歴史と地理》(568),山川出版社,2003年,第4页。 (本文刊于《南京林业大学学报:人文社会科学版》) (责任编辑:admin) |